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20XX年 8/27




 ―――全てが収束したのは、始まりから数えて三度目の夏が終わりに差し掛かったとある日曜日だった。
 僕はいつも通り屋上で、そこにある景色をぼんやりと眺めていた。
 目が眩むような陽光。
 光の世界の中で、ビルの影は濃くハッキリとした形を地面に落とし、その先、遠くで陽炎が揺れている。
 普段誰の足も止まらない向かいの喫茶店は、暑さから逃れようとした客達で珍しく賑わっているようだった。
 ここよりいくらか快適そうなその場所を、しかし羨ましいとは思わず、ただぼんやりと眺めたまま、ぬるくなった缶珈琲を一口すする。
 どこにいるのか蝉の鳴き声。遠くの雑踏。
 延々と続く夏の日に、日常は変わらず、二度と訪れない膨大な瞬間を浪費していく。
 こんな風にのんびりと屋上で雲を追いかけていると、なんだか、時の流れる実感は益々稀薄になって。
 いつかの夏の日に、今とそう変わらない僕が見上げた夏空の様子が今の瞬間と重なっていく。
 あの頃と、変わったものはなんだろう。
 ふと、そんな事を思いながら、どれくらいの間か、ぼんやりと空を見上げる。
 ゆっくりと雲が流れて、青い空はなんだか自由すぎて、戸惑いとともによくない錯覚を引き起こす。
 生ぬるい風。
 すこし、息苦しいほど茹だる空気。
 ぼんやりとして、思考を忘れて――――
「なんだ、こんなところに居たんですか」
 唐突に、背後から声がした。
 止まった思考に些細な衝撃。
 驚いて振り返ると、ドアの開閉する錆びた音と一緒に、真っ黒なワンピース姿の少女が一人屋上に上がってきていた。
 編み込みもなく一つに纏めただけのおさげ髪を肩に垂らして、前髪は瞳が隠れないようにピンで止めた彼女は言う。
「―――由紀乃、泣いてましたよ。事務所の模様替えを始めたはいいが、発案者はいつの間にか消えて自分一人で……あぁ、棚が倒れて――殺されるっ、と」
 ただ静かに、抑揚のない声で、そんなことを話しながら、彼女はこちらに向かって歩いてきて。やがて僕の隣で立ち止まる。
「それで、どうしたの、由紀乃ちゃんは」
「さぁ、どうでしょう? 最後の悲鳴はわたしが部屋を出てドアを閉めた後でしたから」
 何でもない、ただ事務的な報告を済ませるように。
「手伝ってあげたらどうですか」
 気怠そうな瞳で、まっすぐこちらを見つめてくる。
「ははっ…………あぁ、そうなんだ。うん、そろそろ戻って助けてあげないとね」
 僕は彼女に、ぎこちなく笑って見せながら、思う。
 大きな変化の実感はないけれど。確かに変わったものもあるじゃないか、と。
 それは、ほんの少しの心情の変化に過ぎないのかもしれないけれど。
 ちょっとだけ、未来を願う気持ちが強まっただけの事だとしても。


 屋上を去る時に、この一年を思い返した。
 最後に手にした儚い日常が続くことを願いながら。


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