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瑞人とは入り口で別れた。別々に探した方が見つけやすいだろうという、わたしの提案。
そのことを後悔したのは分かれてすぐの事。
しかし自分から言った手前、今更一緒に探しましょうとは言えなかった。
赤い闇の中を歩く中、遠い記憶を思い出す。
何かを考えていないと泣き崩れてしまいそうだったからかもしれない。
ふと、頭に浮かんだのは、記憶の断片。
今より弱かった頃の自分が重なる。
◆◆◆
2年前まで、わたしはどこにでもいる女子校生だった。
とびきり華やかでもなければ、暗く沈んだわけでもない、ほんの少しのいろどりを添えられたそれなりの日々を過ごしていた。
同じことを繰り返す日常はそれなりに退屈で、愚痴ってみても音楽教諭の嫌味な性格は治ることもなくて、好きな異性へ告白するなんてもってのほか。
退屈なら退屈なまま、別に今が最悪でないならそれでいいと、わりと本気でそんなことを思っていた。
要するに臆病で小心者の言い訳だ。
失敗するのが怖くて、嫌われるのが嫌で。
わたしの世界は、仲のいい友達数人とだけの小さな範囲で完結していた。
ただ、それはわたしに勇気がなかったからで。
内に隠した本当のわたしはきっと、人並み以上に好奇心旺盛で、多くの変化を求めていたはずだ。
そんな気持ちよりもほんの少しだけ、人の目が気になっていただけ。
下手に目立って小さな世界の、小さな世間から孤立したくなかっただけ。
わたしの小さな世界を、侮蔑をもって失いたくなかっただけ。
――孤独になりたくなかった。
ただ、それだけ。
だから。
嫌いな教師の気に食わないトンデモ理論の説教に言い返すことなく、ただ黙って。
友達との会話は肯定から。
好かれてもいないが、嫌われてもいない今を壊さないよう、想い人には遠い視線だけを。
退屈な日常は退屈なまま。
下手な希望は、持たず、作らず。
今までだってそうなのだから、今日だけが特別なはずはない。
特別になるわけがない。
卒業までの長い時をやり過ごしてしまえれば、それでいい。
毎日が楽しくて幸せハッピーな人たちの陰にこっそり眠るような―――
自分が嫌いで嫌いでたまらなくて、周囲が鬱陶しくて仕方ないのに、そんな闇のすべてを隠して平常に清潔を装った―――
嫌われたくない。それでも、できれば好きでいてもらいたい、なんて都合のいい考えの―――どこにでもいる女子校生。
それが、2年前のわたし。
本質的な部分では今も何一つ変わっていないと思う。
臆病で都合のいい人間。
ベルトコンベアーに乗って流れてくる日常を淡々とこなすだけの簡単なお仕事。
点検――異常はなし。
本日も無事故でいきましょう。
息苦しくとも死の危険は無い、小さな箱の中。
繰り返しの日々の中で、コンベアーごと機能停止に追い込むような大事件が起きたのが2年前である。
忘れたい記憶であり、忘れてはならない誓いを立てた出来事。
その日より、本質的な部分以外の、わたしの外殻は大きな変化を余儀なくされ、どこにでもいた女子校生の姿は消えてなくなってしまった。
多分、こんな女子校生は世界中探してもそう多くはいないはずである。
わたしにそう思わせるようになった出来事は、本来起こるはずのなかった特別な出来事で。
一人の人間の死と、その時に訪れたとある女性との出会いにさかのぼるのだが……
◆◆◆
「――――はぁ……」
思い出して溜息を吐く。
楽しい記憶ではない。
だからと言って、忘れていい記憶でもないのだけれど。
今日と同じ、月のない夜を思い出していた。2年前の、魔女との出会いの日の事。
連想して思い返されるのは、夕暮れに染まった廊下の情景。
そして、目をそむけたくなるような今に続く死の現場と、今のわたしを決定づけた魔女の言葉。
夕焼けと夜の記憶が、目の前を侵食してくる。
――あぁ、丁度。
こんな色になるのかもしれない。
廃工場。
暗く多くを闇に隠された内部で、それでも尚猟奇的に辺りを塗りつぶす赤い染料が染みついた壁。
まるで巨大な生物の腹の中を歩いてる気分。
壁を這う機械の凹凸が今にも動き出しそうで、何なら、地面が揺れて感じるくらい。
螺旋状に上へと続く階段を昇り切ったら、窓のない、細い廊下が奥まで続いていた。
染料の赤は消え、代わりに一寸先すら見えぬ闇が鎖されている。
「嫌なことを思い出すのは、こんな場所に来たせいかしら」
ぽつりと呟いて、廊下も半分まで辿り着いた時、まるで現世と異界を隔てた壁を越えた様に、ガチャリと、世界が切り替わるような感覚を覚えた。
立った一歩の違いで鎖された闇は鋭さを持ち、鎖のように足元に絡みつく。
喉元に刃を突き立てられているような殺意。
否、これはきっと自らの恐怖に違いない。感じたのは殺意ではなく、それにさらされたビジョン。
――――まずったかなぁ……、これ。
額に汗が滲む。
あと数メートルのところに、扉が一つ見える。
探し物はあの中だと確信する。
踏み入る以外の選択肢は無い。
逃げ出そうとした瞬間、わたしはわたしを殺してしまうだろうから。
もはや脅迫めいた誓いがわたしを前へと進ませる。過去に起てた誓いは呪いとなって、無理やり身体を動かすのだ。
簡単な呪い(まじない)。
臆病なわたしが逃げ出さないように、自らにかけた呪いが扉を開く。
天井も、腰ほどの高さからは壁すらも無くなった場所。かつて、そこが何であったかは想像することしかできないが、きっとこれほどまでに浮世離れした場所ではなかったはずである。
床は赤く染まって、所々に同じ色の液体が溜まっている。
その液の中に、探していたものは、確かに存在していた。
しかし―――
「どういう――――」
目の前に現れた存在に困惑する。
想定外の、しかし、言われてみれば、それは確かにこうあるべきだと腑に落ちる。
こうして答えを目の前にすることで、疑問だった全てが繋がっていく。
見知らぬモノへの恐怖は薄れていき、やるべきことが見えてくる。
星々が輝く夜の下。
月は無い。
風は冷たく、微かに鉄の匂い。
「話をする気はあるのかい――――――」
問いを聞いた。
それは、真っすぐにこちらの目を見ての問いかけだ。
「そうね――――それは、わたしにとって良い事かしら」
そう言って、こちらに向けられた瞳を見据える。
対峙する影を分ける様に、夜空には、再び小さく星が流れた。
頭上には、今も過去も、きっと未来でさえ、変わって見えることのない星空が広がっている。