『終末世界と果ての狼』
――曰く、その世界には終わりがあるという。
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この世界の真実は、生まれた時から頭の中に刷り込まれていた。
恐らくそれは自分一人のものではなく、この世界に生きるすべての人々の共通認識だと思う。
何か作ることは叶わない。それは如何なるものであっても変わらない。
命に終わりは訪れない。一度死した者は、再び死に至ることは無いだろう。
ここは死者の集う世界/場所である。
◆◆◆
終末世界/完成世界。
幾人かがこの世界に名前を付けようとした。その中でならこの二つが今のところ僕のお気に入り。
この世界には頭のいい学者は何万といて、勇敢な戦士はそれ以上。思考することすらできない愚か者は数えることすらばかばかしくなるくらい大勢いる。
多分、死んだときに頭をやってしまったんだろう。
なんせこの世は、死者の集う場所。
現世といわれた世界で役目を終えた万物が押し込められる掃き溜めのような場所。
古くは神話の時代から。
新しいものでは空飛ぶ車の時代から。
共通するのは地球という星で生まれ、死んだこと。
生物以外、建物や機械までもを含めて、地球上での活動を停止したすべての魂が形をもって送り込まれてくる。
一言で表すなら”混沌”
延々と続く時間を退屈と思うのなら、地獄であるのかもしれない。
なんせ死に至ることは無いといわれているのだから。
しかし、この世界で退屈を見つけるのは割と苦労するだろう。
理論の上に不条理が乗っかる世界であるから、退屈であるはずがない。
昨日見た景色は一夜にして跡形もなく消えることも珍しくは無い。
空飛ぶ車の隣では、竜が飛び。
鉛玉を吐き出す機関銃に、指先一つで相対する者がいて。
そんな隣を腰を曲げた老人二人がぼんやりと歩いて横切る場所だから。
この世界が生まれて幾星霜。
始まりがいつかは知らないが、死の無い日々は、多くの者にとっては、それなりに楽しいようだ。
◆◆◆
しかし、そんな世界にも――いや、だからこそなのかもしれない――死を求める者が一定数存在する。
理由はまばらだが、確かにいる。
中には、こんな世界にいるくらいならいっそ”無”に成りたいと叫ぶ者もいた。
彼らは”strange wolves―風変わりな狼たち―”と呼ばれた。
死にたいと思うなんて変わってる。
そんな風に言うと、牙をむき出しにした狼のように強く睨んでくる者が多いからだそうだ。
彼らに言わせれば、こんな世界を楽しんでるやつらの方が変わってる、とのこと。
しかし、あくまで少数派である狼たちは、それぞれが集まり日々、世界の終わりを求めているのだという。
◆◆◆
――この世界には終わりがあるという。
”strange wolves”は勿論だが、他の者たち――この世界を大いに楽しんでいる者たち――もそれをどこかで信じている。
理由は単純。
彼らが皆一度は死を迎えたものたちだからである。
つまりは、終わりというものを一度経験しているからだ。
ただ、多くの者は、自ら終わりを迎えたりすることを望んでいない。
遠く、今よりまた幾星霜の年月の先にでも、いつか終わりが来るというのなら、それまで待てばいいだろうと、そう考えているだけである。もしくはあるかどうかもわからぬ終わりに怯えるよりは、今ある永遠を楽しめばいいだろうと。
そういう考えだから、自ら死を探し、求める者たちを変わり者と呼ぶのだ。
どこに在るかもわからぬモノを探して彷徨うなんておかしな奴らだ。
待っていれば勝手にやってくるだろうに、と。
この物語は、そんな世界で、変わり者と呼ばれながらも、いずれ来る終わりを自らの手で探し出そうとする、狼たちの物語。