『流れ星の理由-1話-』
――――諸君、ご機嫌いかがかな。ワタシは最悪だ。
それもこれも、とある一人の少女の我儘が原因である事は言うまでもない。
久城遥香(くじょうはるか)。
世界の片隅の、島国の、トンデモナイ金持ちの家に生まれた娘の名である。
ワタシはその娘に関する重大な仕事を任されている。
本来、世紀の天才であるワタシが任されているその役目は、簡潔に言うなら御守りである。
しかし、事はそんなに簡単なものでもない。ワタシの苦悩を語るには、それはもう、長い時間が必要なのである。
◇◇◇
――――皆様、ご機嫌はいかがでしょう? わたしはとてもいい気分。
それもこれも、いつもわたしの傍に居てくれる一人の殿方のおかげです。
奈須野喜代文(なすのきよふみ)。
我が家の、離れの、一番奥の部屋に住んでいる魔法使いの様なお方です。
お父様が、何かあるならすべてその方に叶えてもらえ、と。
わたしは幼き頃から、その方に全てを叶えていただきました。
お話し相手なんかにもなっていただける、一言で言うならお友達です。
しかし、最近お疲れのご様子。
どうにかして上げたいのですが――――。
そう考え、わたしは思いついてしまいました。
世界で一番綺麗な物を差し上げようと。
夜空に瞬く星の光。
きっとそれは世界で一番綺麗な物だと思うのです。
◇◇◇
――――星が欲しいと言い出した。
最初は、程度の低い掛詞だと思って、笑ってみたが、
「笑い事ではありません」
なんて、言うもんだから冗談ではないようだ。残念ながら。
ジョークであるなら、今世紀最大の賛辞を贈ろうと思っていたのに。
しかし、どうも聞いてみると、いつもとは少し趣が違うらしい。
「いつも、あなたには、わたしの願いを叶えていただいています。しかし、それは少し我儘が過ぎるのではないかと…………少し、最近思うのです」
ナント。
「ですので、わたしはあなたの手助けが無くとも、一人で何かを成し遂げることが出来るのだ、という事を証明したいと思っています」
素晴らしい。
お嬢様は、どういうわけかは解らないが、とてつもない意欲に燃えているようだ。
しかし。
星が欲しい、とは。
自立心が芽生えるのはいいが、それにしたって、出来ることとできないことがあるだろう。
「そして、お星さまが欲しくなったので、それをとりに行こうと思っています。――もう、大体の場所の見当はついていますから」
まあ、どうして、こうも自信に満ちているのか。
「流石に、夜空までお星さまを取りに行くのは骨が折れてしまいそうですので、流れ星を捕まえようと思います。流れ星ならそう難しくは無いと思うのです」
さぁて、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。
お嬢様は、今まで生きてきて不可能というものに触れたことがない。
なぜなら、ワタシ奈須野喜代文が、超が付く天才科学者であるからだ。
今までは、ワタシがお嬢様の願いを、どうにかこうにか、時には現代科学の十年先を歩みながら実現してきたからである。
だがしかし。
事、今回に限ってワタシは手を出すまい。
折角やる気に満ちているところ悪いが、世の中には不可能が存在することをその身に染みて学んでいただこうと思う。
…………手を出したら、また生え際が犠牲になってしまう事だろう。
「まず、わたしは考えました。流れ星とはどこで手に入るのだろう、と」
――どこだろうと、決して手に入る事は無いのです。
ワタシは即答したい気分に駆られたが、ぐっとこらえる。
どんな我儘少女であれ、ワタシの今後の将来設計の一端を担っている人物であるのだから、口答えはまずい。
折角だから、読者諸君には今話しておこう。
ワタシは人として生まれたからには、頂点に立ちたいと思っているのだ。
世界征服。
ナント完美な響き。
それも、超天才であるワタシにとって、それは夢物語ではない。明確に、そのビジョンが見えている。
その重要な鍵を握っているのは、他でもない、目の前で熱弁をふるう我儘バカ娘である。
他でもない、この久城遥香という少女は、今や世界有数の大富豪である、久城輝文の一人娘なのである。
久城輝文を知らない? ナント、君は一般常識レベルの事すら知らんのか。
ニュースを見ろ。新聞を読め。電車の中の広告でも街頭の電光掲示板でもいい。そうだな、テレビ番組ならCMを凝視しろ。
流れる商品宣伝の4社に1社は久城グループの系列企業だ。
そんなお金持ちの、一人娘を利用して何をしでかそうって。
娘と結婚でもして、グループを継ぐ――――なんて、そんな小さな夢はもっていない。
あくまでワタシの夢は世界征服だ。
財界の勢力争いなんぞに関わっている時間は無いし、そんな気はない。
なら、どうするのか。
娘を裏から操って――――おっと、ここから先は言えないな。
例え読者諸君であろうとも、誰に告げ口されるやもしれない。まあ、君らのいう事を信用する人間なんぞ、皆無だろうがな。
「――――何をにやにやしているのです。わたしの話を聞いていましたか?」
と。
いかんいかん。妄想に耽っていて、お嬢様の話を聞いていなかった。
「申し訳ない。流れ星はどこらへんで居眠りするのか、という話でしたな。――――真面目に答えますと、流れ星は生物ではないので、睡眠を必要としていません。ゆえに――」
「いったい何の話をしているのですか。…………聞いていなかったのなら、そう言ってください」
「いや、ですから、流れ星に睡眠は―――」
「必要ないのでしょう? それは解りましたから」
「いーや、わかってませんな。流れ星は眠らないのですから、寝こみを襲って捕まえよう、なんて浅知恵通用しないのですぞ」
「なんです、わたしを馬鹿か何かだとおもっているのですか」
その通り。
「大体、眠らない事は知っていたので、その案はとうの昔に却下したのです。そして、解決策はあります。もう一度最初から説明します。今度はしっかり聞いていてください」
得意げに、お嬢様は語りだす。
なんとも馬鹿に見える。
「まず、わたしは考えました。流れ星が手に入る場所とはどこだろう、と。
それはつまり、流れ星がよく落ちてくる場所ということです」
「ふむ」
「流れ星が落ちてきた場所というのは、大きな穴が出来ると聞きました。なので、たくさん落ちてくるような場所は、きっととても大きな穴がある場所だと思うのです」
「なるほど」
「そして、大きな穴には雨が降って水が溜まり、そして――――」
「そして?」
「大きな湖となるはずなのです」
「それはすごい発見だ」
「馬鹿にしていますか?」
「そんなことはありません」
「ならいいのです。――――わたしは、そう言った大きな湖を流れ星捕獲ポイントと名付け、候補を二つまで絞りました」
「そんなことが出来るのはお嬢様だけですな」
「褒めすぎです。しかし、とても気分がいいですね。――――コホン。それで、捕獲ポイントですが、候補は二つ。一つは世界で一番広い湖です。きっと流れ星が大量に落ちてきて穴ぼこになってしまったのでしょう。――――そして、もう一つ。それは、世界で一番高い所に在る湖です。こちらは、空への距離が近いですから。幾分、低い所よりも確率が上がるのではないかと」
「仰天ですな」
「ですので、今週は手近に、一番広い湖に向かってみようと思います。同伴は結構ですので、ゆっくりしていてください」
それはそれは。
つかの間ではあるが、お暇をいただけるようだ。
ありがたく頂戴するとしよう。
言いたいことをすべて言い終えたのか、満足げに、大きく息を吐き出すお嬢様。
折角なので、一つ疑問を聞いてみることにする。
何でもない、ただ純粋な興味によるものだ。
◇◇◇
「どうしてまた、星を捕まえようなんて思ったのです」
奈須野はそんな事を言います。
そう言われると、少し悩んでしまいます。
理由を説明するのはとても簡単ですが、そうしてしまってはいけない理由があるからです。
まず、わたしが流れ星を捕まえたいのは、最近お疲れ気味な奈須野に元気を出して貰いたいからです。
――――自分でいうのもなんですが、なんだか恥ずかしいものです。
自分で思っているだけで、顔から湯気でも出てしまいそうなほどなのに、当の本人に直接なんて言える筈もありません。
ですから、わたしはこれを『オペレーション・シューティングスター』と名付け、奈須野に対するサプライズとする事に、今決めました。決めたんです。
そうなると、更に難しい事に成ります。
サプライズなのですから、それは隠しておかなければいけません。――――流れ星を捕まえる、と話したのも、もしかしたら失敗だったかもしれませんが、失敗したことを悔やんでも仕方ありません。
わたしは考えます。
どうにか、奈須野を納得させつつ、上手くごまかす方法は無いでしょうか。
チラリと、奈須野の方を見てみると、なぜだかキョトンとした表情でこちらを見ています。
あぁ、どうしましょう。こんなに、答えに時間をかけると、かえって怪しまれるというもの。
いつも不愛想で、死んだ目をしている奈須野ですが、わたしには解るのです。きっと、今の奈須野のあの表情。――――間違いなくわたしを疑っています。
一度そう思うと、なんだか焦ってしまいまして。
わたしは、深い考えも無いまま。
思い付きで言葉を返してしまいました。
◇◇◇
ワタシの他愛もない質問に、お嬢様の頭はパニックのようだ。
一秒ごとに変わる表情。
一体あの頭の中でどんな思考が繰り広げられているというのだろう。
待つことしばし。
ようやく口を開いたかと思えば、その内容は心底ワタシを後悔させるものであった。
――――聞かなければよかった。
そうだ。
これこそワタシの些細にして、最大の失敗。ワタシの暇を無残に引き裂く純粋の剣。
「――――流れ星を捕まえられたら、とても素敵だと思いませんか」
これ、なのだだ。
信じて疑わない。
曇りの無い瞳。
この瞳は、人の良心を吸い出す魔法を帯びているに違いない。
心の底、悪意や、怠惰や、欲望の下に沈んだ僅かばかりの良心すらを表に呼び起す。
その度に、ワタシはワタシを人間だと再認し。同時に深い絶望を得るのだ。
よく彼女はワタシの事を魔法使いのようだ、というが。
ワタシに言わせれば、彼女の方こそ魔法使いだ。
あの純粋な言葉と瞳。
それ自体が魔法であるのだ。
だから、わたしは逆らえない。――――そうだと思いたい。